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はじめまして、晴れの灯です、はれのとうって読みます
そんなことどうでもいいんです
ブログというものを始めてみたいと一昨日辺りにふと思ったのでいま作りました
紹介にもあるとおり、このブログは自分で考えたことを書く場として作りました
とくに誰かに見て欲しくてつくったわけではありません
ならわざわざブログにする必要もなかったと思います
でも誰かが見るかもしれないところに公開されるという事実を頭の片隅に置きながらものを書きたい、それもツイッターみたいに文字数制限がないやつで
って考えたんだと思います
さて、今日は初投稿なので自分について少し考えてみようと思います
と思ったけれども自分のことを考えるにあたって結構個人を特定できうる情報が必要になってくることが予想されるので今はやめときます
でも今思いついたことを
大学受験の時期ですね、僕はセンター試験を去年受けたのでまだ記憶が残っています
でも個人的に、大学受験のなかで一番印象にあるのは面接です。
医学部受験はどの大学でも必ず面接試験があります。もちろん医者になるための大学なので人間性や論理力など、あとは単純になんかおかしいやつじゃないかどうかを見られるんだと思います。
僕自身片手では数え切れない数の医学部を受験し、そのほとんどで面接を受けました。
書きたいのは面接試験がどうだったとかではなくその準備過程で得たものです。
高校では医学部に行きたい人が集まるクラスにいたので、担当の先生が面接の練習に付き合ってくれました。実際にやってみるとへたでへたで。何が下手かって、話が長くてわかりづらいんです。この今のブログの文章を見てもわかると思いますが、僕は話すときも書くときも事前に考えたことではなく途中で思いついたことを述べてしまいます。だから、落ちどころのない、何が言いたいのかわからない話のまま何十分も過ぎていたって事態に陥りました。当然いっしょに対策に来ていた友達も苦笑いでした。
なぜまとまらないかをない知恵絞って考えた結果、自分がどういうやつでどういうことをしたいのか何を目指すのかなどという、自分の芯となるものがない、またはブレているのだと気付きました。しかしながら自分では、自分の芯がなんであるのか、いつまでたっても分からず次の面接練習でも同じような醜態をさらしました。
見かねた先生は僕ととにかく話すことにしてくれました。このときの話は3時間近く続きました。
先生は僕が話をするのをただ聞き、ときに反復するだけ。しかし不思議なことに一人で考えている時とは桁違いに思考がまとまっていきます。目からウロコが落ちるってのはこのことでしょう。自分がなぜ医師を目指しているのかという芯はその時やっと見つかりました。
この先生の対話の方法はおそらく、セラピストと同じようなアプローチなのだと思います。セラピストは患者さんの話を聞きますが自分から意見を述べるようなことはしないと以前本で読んだことがあります。
もしみなさんも、自分の思考をまとめたいとき、人から相談を受けた時はこの先生のような対応をしてあげてください。
これが言いたかったことです。
そういえばセラピー受けたんです最近。それについても今度かいてみます。
今日は1、2限寝ブッチ(起きたら11時)で3、4限から行き、アカペラの練習をして車で部活行ってジョイフルで唐揚げ定食食べて帰ってきました。
数ヶ月後、数年後の俺へ向けての日記でした。
もうそろそろ1時になりそうなので寝ることにします。いうて寝ません。